Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 経営学ドラッカー氏が死去…世界の企業経営者に影響

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051112-00000204-yom-bus_all
P.F.ドラッカー氏の書籍は好きでした 経営者ではないけど 仕事をする上で 参考になり元気づけられました 
その中でも 好きな言葉を紹介します
 

「傲るな。企業は、「社会」に存在させていただいているものだ」

 
ご冥福をお祈りします
 

たけしの日本教育白書

http://wwwz.fujitv.co.jp/kyoikuhakusho/index2.html
 
片手間で見ていたテレビだけど 興味深い話があった その一つが
「豚のPちゃんと32人の小学生」
小学生に豚を飼育し それを食料として食べることを追ったドキュメンタリー 
僕たちは 毎日野菜や動物の死体を食べて生きている 
それを意識している人は たぶんほとんどいない 死んでいるものを食べていると言うことは 死ぬ前は生きていたということだ 
 
それを 意識した時に 小学生達はどう思ったのか? 
「豚を食べることは出来るけれども Pちゃんと名前が付いた豚を食べることは出来ない」
といった 小学生の言葉がすべてではないだろうか
 
昔 本に載っていた 同じような質問を思い出した
 
 
もう一つは ビートたけし石原慎太郎知事の対談の中で
「自分が熱中するもので 仕事が出来たら 幸せ」
と言った たけしの言葉
 
もちろん その事が出来たら 最高にいいだろうけど 現実にそうなっている人はどれだけいるだろうか? 芸人として 映画監督としてのビートたけしらしい発言だなぁ と思ったけど 現実には 自分の責任でもないのに怒られ いわれたまま仕事をしている人が大勢だろう
 
じゃあ そういう人達は幸せではないのだろうか?
ある人の言葉に 
 

快楽と幸せをはき違えたところが 戦後教育の最大の間違いである

 
というのがあった 
幸せと自由は 自分の好きなこと 熱中することをやることが全てではない
 

他人の幸せ無くして 自分の幸せはない

 
と言った 宮沢賢治の言葉をかみしめる
どんな環境であろうと どんな仕事であろうと 一生懸命 本気で行動をしている人のところしか 幸運は訪れない
昨日の自分より今日の自分が また 明日の自分が どれだけ成長できたのか 
それを実感できた時を幸福と呼ぶのだと思う